縷縷夢兎がステートメントを表明したことに疑問を抱いたことへの疑問について書いた

懲りずに縷縷夢兎の個展を見てきました。

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佳苗さんが今回の個展で言いたいことはわかるとして(わかってないかもしれないけど)、それをわざわざ言語化してまで表明する必要性がいまいちピンとこなかった。いや、観客やメディアに向けて言語化しなければいけない状況があったからしたんである。だからなぜ私が疑問を持ったんだろうという疑問です。はい、私の話です。縷縷夢兎の分析ではないです。

 

 

  • 縷縷夢兎の定義について

「衣装」というものにやたら思い入れがある。特別な人が特別になるために着るもので、その人の魅力をこじ開けて引き出して、ステージに上がる魔法をかける、業が詰まったヤバい物体だと思っている。そもそも。その文脈で言えば私が衣装と呼んでいるのは縷縷夢兎とオサレカンパニーぐらいです。

 

だから縷縷夢兎は衣装であることが大前提で、人が着て初めて完成するものだと思っていた。

個展は普段見ることのできない細かい造りまでじっくりと眺めることができながらも、ただの衣服としてではなく、着た時のあの空気感まで再現している場所、という感じ。インスタレーションや映像作品もあくまでも衣装であることが先んじていると思っていた。

 

ただ多くの人にとって衣装という性質はそんなに重要ではないというか、「ドンキで売ってる衣装より全然かわいい」ぐらいの気持ちの人もいるわけで。

だから縷縷夢兎が縷縷夢兎の状態で伝わることが最優先で、表現方法やポジショニングを探り続けてるし、それを表明する必要があるんだな。それもあってインスタ映えがどうのみたいな話で論争が起きるんだろう。 

 

(ついでに言うと佳苗さんがインスタ映えについて言及したのも「ゆめかわな世界観♡」とかまとめてくるメディアに仕方なく説明してるんだと思ってたのに、普通にメインターゲット内で論争が起きていてげんなりした。イマドキ女子、リアルな温度感で「インスタ映え」って言っちゃうのかよ。SNSがわからないおじいちゃんたちに説明するためのダサワードだと思ってた。わかるんだけど。)

 

 

 

  • 見る側か見られる側か

アイドルオタクである私と、「かわいい」の一つとして女の子を好きな女子の間には、意識にも断絶があるっぽい。

私はかなり意識的に見る側であろうとしているけど、後者の場合は見る側と見られる側がかなり流動的で、そこへの抵抗もあまりないんじゃないかということ。

 

 

コンプレックスの話をします。

 

アイドルオタクのメイン層であるおっさんに対して何が一番コンプレックスかって、自分が見られる側になるかもしれないという怯えを持ちえないところだ。おっさんがアイドル(狭義)になれる可能性は0なので、オタクとして目立つとかはあるにせよ、アイドル現場にいればわざわざポジションを選ばなくても見る側でいることができる。アイドルになるかどうかは努力の話ではない。

 

ただ私は女である以上、めちゃくちゃ努力したら0.000001%ぐらいはアイドルになれた可能性がある。アイドルになりたい気持ちがなく、アイドルのオーディションを受ける勇気がなく、アイドルになれる努力をしなかったから、私はアイドルではない。が、アイドルになりたい気持ちがあり、アイドルのオーディションを受ける勇気を出し、アイドルになる努力をすればうっかりアイドルになってしまうかもしれないのである。

選べるのに選ばなかったんです。おっさんは「生まれ変わったらアイドルになりてえな~」でいいだろうけど、私はその前提を手にしているにも関わらず選ばなかったんです。それでもステージにいる子との差を考えずにはいられず羨望と憧れと劣等感は消えないから、なりたくないならそれでいいじゃん、とかそういうものではない。わかるか、わかんねえだろ。

だから見る側を選択したという気持ちでいるし、見られる側を選んだ女の子に対して歪な敬意があるし、簡単に「アイドルになればいいのに」と言ってくるおっさんに軽蔑の気持ちを持ってしまう。つーかそんな気軽にアイドルやってると思ってる奴がアイドルオタク自称してんのかよ、くそが。

 

コンプレックスの話終わり。

 

 

でも今の女の子たちって見る側と見られる側の壁がそんなにないんじゃないか。

なんなら常に見られる側ではあって、観客の量と距離で選ばれたかどうかの判定がつくみたいな感覚なのかも。

私が(非)museだとしたら、縷縷夢兎のメイン層は(未)museって感覚なのかもしれない。

それならわざわざno museをテーマにしたのも、ステートメントを表明したのも、毎回毎回マウンティング合戦が起きるのもちょっとわかる。

 

いや、なれるならなりたいけど、「縷縷夢兎着たい」は「プリキュアになりたい」ぐらい現実味がない。

 

 

 

 

結局のところmuseがいる縷縷夢兎が見たい。嫌な言い方をすれば、何かを得られる保証もずっといつづけられる保証もないのにリスクを負ってまで私達の前に出てきてくれる欲深くて強くて美しい女が好きで好きで好きで好きで好きでたまりませんああもう本当にすみませんリスクを取らずに欲しがるだけ欲しがって本当にすみません。"no museと称して私達のところまで降りてきてくれたけどいいんです降りてこなくて、圧倒的に突き放してほしい。多分 "no muse" というテーマがあってもなくても身の丈に合わないくせして勝手に自分を見つけたりする。「THE END OF ANTHEM」を見て「私これ出れると思いますよ」とか佳苗さんに言い放ったんだから本当にウケる。

 

muse03が売り切れていたので早くほしい。手元にきたものを見たいからサンプルは読んでない。

せめてお金を払おうという気持ちは常にあるけど、それだって佳苗さんやmuse達のリスクに比べたら懺悔程度でしかないのはわかっている。