どうやら自然であること嘘でないこと適切であることに価値を置きすぎているらしい、自分の心がズタズタになる様子をぼーっと眺めて体に戻してみたら案の定痛くてたまらない、ということを懲りずに繰り返してしまう、楽しいも嬉しいも悲しいもやるせないも全部きっちり感じていないといけないという強迫観念があって、心が痛むのが自然ならそうあるのがベストだし、痛む原因を否定したり目を背けたりするのは事実を捻じ曲げることだから腑に落ちない、さくさく感情を片付けていく方が過ごしやすいことぐらい重々承知だからできる限りいいことだけ考えられるように数年間過ごしてみたけれど、どうしても生まれてしまう苦しさや死にたさに蓋をしていたら歪さに耐えきれなくなったのが春、君が世界一好きだと言われたけれどその「君」とやらがどこの誰なのか私にはさっぱりわからなかった、自分によく似た虚構が愛されている様子を蚊帳の外から眺めているほど虚しいことはない、その子になれなくて本当に申し訳ないな、きっとどこにも私はいなかった、納得いかない肯定をされるよりも納得のいく否定をされる方がずっと理解してもらえた気持ちになってしまう、自分と他人の認識が合致していることが最上位にくるのなら自分を肯定できる部分を増やしていくしかないことぐらいはわかっているんだけど、努力すると無理すると嘘をつくの違いが全然わからなくて、努力したつもりが嘘をついているだけだった挫折感と罪悪感が大きすぎて、もっと過去を振り返っても本物になれた記憶が全くなくて、全然身動きが取れない、最高になるか死にたい