草間彌生展を見てきた感想ではない

草間彌生が特別好きなわけではないのだけど、母親が「とりあえず圧倒される感じで楽しかったよ」というので(両親が薦めてくる展覧会は外れがない)、会期終了閉館ギリギリ滑り込みで見てきた。

kusama2017.jp

 

本当は昨日行くつもりだったんだけど、炎天下70分も並ぶ気力が湧かなかったからやめたんだけど、やっぱり行かなきゃいけない気になってきて、仕事も暇だったし、あと2時間半なんとなくオフィスにいて数千円会社から払ってもらうのと、さっさと帰って1600円払って芸術を見る経験を得るの、絶対後者の方が世界にとってプラスじゃね?という気持ちになってしまって、私用があるの思い出したので帰ります!とか言って退社した。明日会社行くの怖い。いつも怖いけど。でも行ってよかった。行ってよかったー!!!

 

最近思うんですけど、めちゃくちゃデカい!!!とかめちゃくちゃ多い!!!みたいな圧倒的な質量に勝てるものなくないですか。芸術的素養がないからどのジャンルがああでこの作品と比較した場合のこの解釈がこうでとかこの流れにおける位置付けがどうでとかわからない。知ったら知ったで楽しめるタイプではあるけどそれは理解する面白さだから、自分の感覚が不可抗力で震えるあの感じははちゃめちゃに圧倒的なものでしか感じられない。それがわかりやすいってことなのかな。誰かが意味付けしなかったら価値が生まれないものにお金払う人がたくさん、商業的に成り立つぐらいいるんだから、シンプルでわかりやすくてつまんなくて普通で正しいな私の感性。なんとなく嫌いだった村上隆も展示見たら超面白かったもんな、デカくて。Google画像検索で見てもわかんないものってたくさんあるな。デカさも質感もわかんないもんな。四方八方を取り囲まれる感覚もわかんないもんな。草間彌生のグッズよく売ってるけど全然いいと思わないな〜って思ってたけど当たり前だよね、そもそもグッズのためにデザインしたんじゃないんだから。芸術は生で見なきゃダメだよね。芸術は生で見なきゃダメだよ。意外とデカかったり意外と小さかったりするから生で見なきゃダメだよ。

 

脳内に流れてくる情報の取捨選択が下手なのか、人より思考のスピードが遅くて、つまり時間がめちゃくちゃ早く過ぎる。みんな本当は1日72時間ぐらいあるんでしょって思っちゃう。そんなことないよね。ごめんね。どれだけゆっくり見ても近くで見ても遠くで見ても何周しても全部オッケーだから美術館がすき。趣味がアイドルとか大森靖子ちゃんとか音楽に寄ってるような見え方をするけれど音楽の良し悪しはわからない。だからただいい音楽をやっている人のことはなかなかすきになれなくてもどかしい。総合芸術的じゃないと引っかからない。いい音楽をやっているというだけですきになれる感性が私もほしい。かなり視覚的な情報に頼って生きている。センスの良し悪しはまた別の話。時間的拘束が強いから映画やテレビ番組もあまり好きじゃない。早く読むと頭に入らないしゆっくり読むとなかなか終わらないから本も好きじゃなくなってしまった。絵は視野に入るもので判断していいしそこに存在しているからすき。自分の顔は視野に入らないからわからない。知らない。

 

「無限の鏡の間」がよかった。撮影できなかったからGoogle画像検索してください。なんとなくしかわからないと思います。めっちゃほめてる文章見てから入ったらなーんだこんなもんか、って感じかもしれないけどきれいだった。それに比べてイルミネーションのダサさつまらなさときたら!Nakedのプロジェクションマッピングもダサいから嫌い。ダサいのにもてはやされてるもの全部嫌い。はいそれではここから感動タイムです!はいどうぞ感動してくださーい!みたいな義務的量産型感動キモい。仕方なくやる恋人的儀式もキモい。無理して感動したくないし無理して喜びたくない。でも割と無理する。

 

両親も弟も(多分妹も)芸術系で、家族で自分だけ人の真似事しかできず、中途半端に成績がよかったから中途半端にいい大学に行き中途半端に普通の企業に就職してしまった。それでもたった2000円弱で誰かが人生かけて作り上げてきたものを見せてもらっていい体験をした気分になれるんだから、せめてそのお金を普通に払えるぐらいの生活を普通にしたいんだけど、それすらままならないのなんでなんだろう。だって今日も突然退社するし。どうしても作り続けないと生きていけなかった人への憧れはなくならないし、圧倒される経験は尊いけれど、それで自分への絶望が消えるのかというとそんなことはなく、結局自分のことは自分でどうにかするしかないって実感するだけだけど、何をしたらその穴が埋まるのかわからないまま24年間生きてきてしまった。

 

あれ、草間彌生展の話だったよね。終わりますね。